小説サークル「黒閃」

作品1:『レイト・フォー』
(お題:「バナナ」「ドライヤー」「高速道路」)

 トラック運転手の朝は早い。毎朝5時に起きてシャワーを浴び、朝食をとってから出勤する。
 私はこの仕事を3年ほど続けているが、今でも時々寝坊をすることがある。もっとも、入社したての頃は今の比ではなく、社長直々に「次遅れたらクビにするよ?」と言われたこともあったくらいだ。

 そして、今日はというと、今は……5時30分?
「寝坊したっ!?」
 枕もとの時計を見て布団から飛び出る。この時刻ならシャワーを浴びている時間はない。慌てて台所へ向かおうとするが、床においてあった書類で足を滑らせてしまった。
「あいたたた……ん?」
 蹴り上げられて舞っている紙を手にとって見ると、勤務予定表だった。今日の日付のところを見ると、赤い印がついている。目線を下へ滑らせていくと、そこには『赤印→1時間早出』の文字が。
「明日だと思ってたのに!嘘でしょ!?」
 これで朝食をとる時間もなくなった。しかし何も食べないわけにはいかないので、急いで着替えたあと、台所のテーブルの上からバナナを1本ちぎり、部屋を飛び出していった。

「おはよーございまーす……」
 会社に着いたのは出勤時間5分前。身だしなみと食事を犠牲にした結果、何とか遅刻だけは免れた。
「あれ、今日めずらしいね。速水さんがこんなに早いなんて!」
「やだなあ社長、今日私早出なんですよ?」
「……え?」
 社長は怪訝な表情をし、自分の机の予定表を見る。そして戻ってくるなり、
「速水さん、言いにくいんだけど、それ……先月じゃないかな?今日は早出の予定なんて誰にもないんだけど」
「……はい?」
 その瞬間、私――速水涼子は凍りついた。嘘だ、そんなはずはない。確かに私の持っている勤務予定表には早出の印がついていた。
「でもでも社長、今日は16日の水曜ですよ?そして予定表も確かに16日の水曜でした!間違ってるとは思えません!」
「……あのね速水さん、今日、何月?」
「3月、ですけど。それが何か?」
「2月って何日まであるか知ってるよね?」
「馬鹿にしないでくださいよ、28です!」
「つまりね、2月と3月は、途中までカレンダー一緒なんだよ」
「……あ」
 当然だ。何で気づかなかったんだろう。やはり慌てていたせいか。
「ぐすっ、私って究極にダメダメですね……間に合っても遅刻しても」
「ああっ、そんなに落ち込まないで!ほら、今日は時間に余裕があると思えばいいんじゃないかな?」
「ホント、今日は色々犠牲にしてきたっていうのに……」
 ぐぎゅるるる……
「……ひょっとして、何も食べてないとか?」
「いえ、それはこのバナナがありますんで」
「社長おはようございまーす!」
 突然、ドアを壊すぐらいの勢いで入ってきた人がいた。
「ああ、おはよう吉田さん」
「あら、涼子もいるの!私遅刻したのかしら!?」
「失礼ねー。私だって早く来る時もあるわよ」
「ま、そういうことにしておいてあげる。それより涼子、シャワー浴びてないんじゃない?」
「……よくわかったわね。時間なかったのよ」
「それなら、うちのシャワー使う?近いし」
「じゃあ、そうさせてもらうわ。社長、まだ時間ありますよね?」
 社長は大きく頷いた。事務の吉田さんは、会社から5分ほどのアパートに住んでいる。小さな運送会社の同期、しかも女性同士ということでかなり仲がよかった。
「あ、ドライヤーがいるんだったら洗面所の引き出しに入ってるから使っていいわよー。あと台所に菓子パンがあるから2個までなら食べてもいいから」
「至れり尽くせりね」
 そう言い残し、大急ぎで会社を出た。

 会社に帰ってきたのは30分後だった。これなら十分間に合っている。
「あ、速水さん帰ってきたね。それじゃあ、さっそくだけど行ってもらおうかな。今日は大型で亀井金属工業さんまで行ってきてほしいんだ」
「行先は?」
「それは向こうで指示をくれるらしい。でも多分京発工業さんだと思うから、ETC忘れないでね」
「はーい、では行ってきます!」
 私は作業服に着替え、ガレージに停めてある大型トラックを発進させた。亀井金属工業はここから10分くらいのところにある。

「……それで、まだ来ないんですか?」
「申し訳ありません。6時半くらいには出たので、とっくに着いていないといけない時間なんですが……」
「まったく……もう7時ですよ。ああ、どうしようか……」
「すみませーん、新宮運送でーす!」
「あ、到着したみたいですね。ご迷惑をおかけしました。では」
 電話が切れる。亀井金属工業の社長さんがこちらを睨み据える。
「今何時だと思っとるんだ!間に合わないじゃないか!」
「すみません。それで、行き先の方は?」
「……いつもどおり、京発工業だ。高速を使ってギリギリだな」
「では、超特急で行って参ります!」
「捕まるなよー!あと、今度遅れたら次はないからな!」
 社長がその言葉を言い終わらないうちに、私は再び走り出した。次に目指すは京発工業。普通に行けばここから高速道路を使って1時間くらいかかる。

「おはようございまーす、新宮運送です!亀井金属工業様から部品のお届けでーす!」
「お、時間通りだな。お疲れさん」
 だが、実際に着いたのは7時45分。本来予定されていた到着時刻だ。高速道路が空いていたのもあるが、下道もどういうわけか空いていたのだ。
「あのー……今日車が少なかった気がするんですけど、何かあったんですか?」
「ん?ま、まあ、僕も何があったかはよくわからないんだけど、何かあるんじゃない?」
「そうですか。じゃあ、私は帰りますね」
「はいはーい、お疲れ様ー。またよろしくー」
 (言えないよ……うちの社長が手を回してたなんて……!)

「それで、無事に荷物は着いたんだね?」
「はい、無事時間通りに」
「よろしい。なら専務、新宮署長に連絡して、規制を解除してくれ。」
「かしこまりました、社長」
(まったくあの子は……小さいころから相変わらずのお寝坊さんだな)
 社長の中村――速水の伯父にあたる――は苦笑した。
「何か、社長?」
「いや、何でもない。さ、今日も頑張ってくれたまえ!」

「ただいま戻りましたー」
「おかえり速水さん。間に合った?」
「ギリギリですよぉ。でもなぜか道路が異常なくらい空いててセーフでした」
「そうか、そうだろうねぇ」
「?」
「ほらほら、次の仕事が待ってるよ。次は……」
 こうして、新宮運送・速水涼子の一日はあわただしく過ぎていくのであった。


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